(679 bytes)
 


「身近なアマゾン」と題しまして、筆者のアマゾンでの失敗談、経験談が 一冊の本として出版の運びとなりました。

日本の書店店頭には並びません。
販売方法及び取り扱い店は表紙のWANTEDの項目で説明しています。

 


[1]雨季のネグロ川の水は盛り上がったように見えました。拡大写真は本の表紙の画像です。採集現地に向かうボートの横を、インデイオ夫妻の軽快なボートが抜けていきました。

筆者初めての著書「身近なアマゾン」について  順次説明させて頂きます。
(写真拡大できます)表紙全体表示
本ページに掲載した写真は本の本体の巻頭に掲載しています。

拙本を直接筆者から御購入希望の方には、サイン入りでブラジルから直送します。

[1]写真は雨季のネグロ川上流で、アピスト採集に向かう船の横を快速で通りぬけたインデイオ夫妻のカヌー。



[2]ネグロ川を朔上する定期船、こんな船に3日乗ってサンガブリエルに行きます。船はハンモック持参で、3食昼寝OKの快適な旅です。


[2]ネグロ川を航行する定期船。読者のかたにも一度は乗ってみてもらいたいと思っている。

2008年6月18日はブラジルへの日本移民が始まって100年目の記念すべき年となる。

笠戸丸という日本からの第一回移民船がブラジル・サントス港に入港して、来年は一世紀だ。



[3]ネグロ川沖会いからマナウスの町を遠望する。
筆者もブラジルで熱帯魚漁師を始めて満20年。  その記念としてこの本が出版頂けることとなった。

1987年に初めて日本に熱帯魚を送り、それから現在まで、20年も同じことをしてきた。


[3]ネグロ川をマナウスから出発。後方遥か彼方にマナウスの町が見えた、少し寂しくなったのを覚えている。

[4]アマゾン上空を日頃飛んでいると、こういう光景に出会う。自然破壊の始まりのような道の始まり。

今回の拙著は、昨年2006年9月から今年2007年5月までブラジル・サンパウロ在の邦字紙ニッケイ新聞に連載された「身近なアマゾン」 を一冊の本として出版頂くものである。


[4]ジャングルが無くなってゆく、道が切られて少しずつ侵食が進んでゆく。アマゾンでは全ての破壊は道を作ることから始まる、と筆者は思う。


 [5]炭焼き釜が並んでいる、炭焼きは日本の特許でもないようなのだ。炭焼き労働には貧困による学童児童が働いていて問題になっている。
        

[5]アマゾン源流の一部でもあるパンタナル低地で発見した炭焼き釜群である。

内容は1993年頃から足掛け11年間日本のフィッシュマガジンに連載された南米通信の中から、魚に偏らない 比較的一般的なアマゾンで経験した事柄を筆者が紀行文として書いたものを基に、何年かたった現在の情況を加筆再構成したものである。


[6]ブラジル・マットグロッソ原産カトレア・ワルケリアーナの花。ブラジルが誇る世界最美のカトレアといわれる。

[6]ブラジルは熱帯魚の故郷であるが、カトレア属の原産地でもある。この地から世界に送り出されて世界を彩っている芸術品がたくさんある。

巻頭言には、筆者が卒業した東京農業大学の元学長で、現在理事長をされている松田藤四郎農学博士にお願いしまして、御快諾頂いたものです。
卒業して33年になりますが、東京農業大学は素晴らしい大学だと思っています。

[7]日本の22倍あるブラジルを旅していると、  奇妙な景色に出会う。ガリバーのいる町もあった。
[ここから旅の感想と写真の内容説明です。]
旅していて、人口増加による各地の自然の変化を身近に感じている。
現地を周っていて、人類の大きな力によって、なくなってゆく自然を目の当たりにしなければならない20年であったような思いがしている。


[7]エキノドルスという水草を探しに出かけたミナス州の田舎町の入り口、童話に出てくるガリバーの住んでいた町なのか。

[8]「雲は良いなー」というコピーがあった。
熱帯乾燥地帯では本当に「雲は良いなー」と思う。

旅をしていて楽しいことは沢山ある。 未知の場所を知り、未知の人と逢い、未知の食べ物を食べる。
何にでも興味を持つタイプの人間には堪らない幸せがある。


[8]将来の世界の食物倉庫になってゆくだろうアマゾン平原の農業地帯、日本の方でこんな景色で農業希望の方はいないでしょうか。


[9] こうして毎日アマゾンの木は切られてゆく。木は1日で切れるが、育てるのに数百年の時間がかかる。簡単に切れないはずだが?

[9]魚採りをしていたら、土手の上の道を丸太を積んだトラックが通った。あわててシャッターを押した。マット・グロッソ州北端アルトフロレスタにて。

こんな旅を20年もやっていると 日本の22倍という広大な面積なので、各地で知り合って仲良くなっても、2度と会えないだろう友人が沢山いる。
そういうのも友達といえるのだろうか。



[10]ブラジルの国花がこのイーペーの花、コガネノウゼンという和名だと聞く。日本人の筆者には黄桜に思えてしまう。ピンガでお花見?

[10]春9月、ブラジルのどこででも咲くイーペーというブラジル国花。日本の桜に相当する。
ブラジル全域を歩いていると、イーペーにも花をつけるイーペー前線(桜前線)があるのを筆者は知っている。

長年採集活動をしていて、楽しみにしていた採集地に再訪したら、そこは破壊されていた、ということもあって、とてもがっかりした場面も多々あった。。

[11]漁師の生活の場は船である。生活と職場が一致しているネグロ川の漁船。

この職業を20年もつづけられて、大よそくまなくブラジル中、アマゾン河も大半の部分をしることができた。この経験知識を何かに生かしたいと思っているのだが。。


  [11]ネグロ川ではこんな船で熱帯魚の採集にでかける。ハンモックに寝そべってこんな船での旅は良いものですよ。



[12]ブラジルの最果て、西果てともいえる最も西に位置するクルゼイロ・ド・スールという町で出会えたほんの5分程の夕焼け。

なぜ1987年から20年もこのような生き方ができたのか、と考えてみたことも有る。
どうしてだろうか、自分の好きなことを仕事にしてプロなれて、旅を続けて魚を採って、収入があったからだ、というごく当たり前の事実にきがついた。


  [12]クルゼイロ・ド・スールのホテルから見えたアマゾンの夕焼け。空が燃えてていた。幸い火事にはならなかったようだが?




[13]ネグロ川流域はまだ緑の地獄が維持されている、貴重な場所になりつつある。こんな所に落ちたらどうなるのか、といつも想像してしまう。

[13]アマゾン 緑の地獄
見渡す限りこの景色が続いている。(写真をクリックしてください)

もう45年も昔のことだったと思うが[緑の地獄]だったか[緑の魔境]だったか、 という映画があったように記憶している。その映像がこんなだった。
マナウスからネグロ川を遡る飛行機の旅では、未だにこの景色が3時間も続く、世界の最後の秘境のように思う。 いつまでも残してもらいたい景色である。




[14]ネグロ川の乾季に現れる砂の造形、真っ黒な川の中に真っ白な砂浜が現れる。

[14]ネグロ川の白い砂
ネグロ川地方というのは、未だに人間の侵入を拒んでいる地域と思う。 現在はどうなっているのか知らないが、シベリアの奥地タイガと呼ばれていた地域も 同じように原生林の生き残り地域と記憶しているが、このネグロ川上流地域も 人間が手をだしてはいけない場所と、筆者は考えている。 しかし、いつまでこの景色が保たれるのだろうかは疑問が残っている。  世界遺産に早く指定して欲しい。



[15]ネグロ川の乾季
ネグロ川というのはいったいどういう性質の川なのだろうか。真っ黒い水が水質的に いうとpH4.00−4,50くらいの信じられないような強酸性を示し、導電率という 水に含まれている金属イオン値は最も0に近い数字をしけしている。これは真水に 近いと思われる数値で、実験室で作る蒸留水に近い水なのである。 水清くして魚住まず、という諺通り非常に魚が少ない川でもある。 しかしカージナルテトラというようなコバルトブルーに輝く魚はこの川にしかいないのである。 考えれば考えるほど不思議な川であると思える。


[15]ネグロ川というのは何なんだろう、この景色、1日も早く世界遺産への指定が望まれる。



[16]大陸高速真っ暗バス
サンパウロとアマゾン支流マデイラ川の中流の町ポールト・ベーリョまでは3000kmの距離がある。 その長距離を突破して走るバスである。このサイズで40人程度の定員なので、かなり楽チンなのだが、 窓を黒いスクリーンを張り巡らせたため、乗っていて時間の経過がわからない。いつ朝がきていつ夜び なったのがわからないで、丸2日乗っていたら時差ぼけしてしまった。
  時差ぼけした思い出がある大陸長距離バス。


[16]ロンドにア州とサンパウロを結ぶ大陸バス。ポールルトベーリョの昔の汽車とアララと呼ばれるコンゴーインコの図柄のバス。




[17]現地でペイシェ・ボイと呼ばれるアマゾン・マナテイーの食事風景である。食べているのはケイブの葉。

[17]アマゾン・マナテイーの夕食 
アマゾン川には人魚が生息している。その人魚がこのマナテイーなのだそうだ。もう40年以上も 前の話であるが、わが東京農大に進化動物研究所という研究機関があって、そこに近藤先生という 皇族方の御研究を手伝ってられた有名な先生がいて、このマナテイーを読売テレビの後援で 日本に連れてこられた、当時大変な話題になったのだが、先生へのブラジル水産役所の見解が きびしくなって、その後先生はかなり苦労されたような話を伝えきいている。 マナテイーの思い出。




[18]アマゾン・ズアカ亀の孵化後間もない稚亀。真っ赤な亀で蒐集家の垂涎の的である。

[18]アマゾン頭赤亀
ネグロ川上流にのみ生息する本当に赤い亀である。 亀愛好家の垂涎のマトの種類なのだ。2001年1月にネグロ川最上流に旅を したのだが、そのおり奥地から町まで乗せてあげたインデイオ親子の子供がオモチャとして、 5匹ほどザルに入れてもってきたのがこの亀だった。 サンタ・イザベルという町の近郊でもこの亀を沢山飼っていた。そこでお世話になった ラザロさんという友人は昨年カヌーから落ちて死んでしまった。赤い亀の思い出。



[19]ネグロ川に沈む夕日
  いつもお世話になっているロナルヂーニョの家で友人がネグロ川上流から降りてくる のを待っていたら、眼前に素晴らしい夕日が見えたのですかさず 1枚撮った写真が これである。夕暮れのたかだか5分ほどの時間であったが、とても綺麗な情景を ネグロ川が見せてくれた。 ネグロ川夕日の思い出。


 [19]本の裏表紙のネグロ川の夕焼けである。日の沈む寸前のつかの間の景色。


[20]干上がってしまったネグロ川の川底
普段はコーヒー色の水を満々と流しているネグロ川なのだが、2006年の乾季には干上がってしまった、 表紙の映像の盛り上がるような水量がネグロ川なのだが、気候の異変によるものか、アマゾン川が干上がる 前兆なのかもしれない。一見綺麗な映像だが、考えれば不気味な話である。


 [20]2006年の乾季、ネグロ川上流は干上がってしまった。この辺り普段は川底である。。



[21]サンパウロ市内のコンゴニアス空港付近、最近この近くで飛行機事故が起きた。

[21]サンパウロ市の真ん中にあるコンゴニアス空港付近。
先日、この景色が終わって着陸した航空便がオーバーランして民家に突っ込んで炎上、200人あまりが亡くなった。 普段は綺麗な景色なのだが。 



[22]アマゾン森林の焼畑現場、焼畑は牧草地にしなければ5年もあれば元のジャングルにもどるのだが。



[22]アマゾン地域のジャングル伐採の現場である。
ジャングルに道が開けられて、人間が入って開拓が始まると、このような情景となる。 戦前のサンパウロへ入った日本人移民も、このような現場で開墾し、農地の確保に必死に なったことが、今では嘘のような時代になっている。夢と貧困苦悩は背中合わせで存在するようだ。

本ホームページに御質問、御感想がありましたら、 直接私宛にメールでご連絡頂けければ、私の分かる範囲で回答致します。
メールでの御連絡はamazones@nethall.com.br でご連絡ください。


2007年12月02日記載完了

  

  


(C) 2001-2007 - Japan Aquarium. All Rights Reserved.
写真転載禁止